1  日目. モスクワ, 中央ロシア.

そっくりさん

シベリアのノボシビルスク出身です。地元では20年近く毛皮販売のビジネスをしていました。ある日のことです。女友達と彼女の幼い息子と一緒にテレビを見ながら食事をしていました。すると、その男の子がスプーンを床に落としてしまったんです。見ると、彼は口をあんぐりと開けています。

「見てママ!あれワーシャおじさんだよ!」

テレビの画面に映っていたのはプーチンでした。彼が初めて大統領に就任して以来、私はプーチンになったんです。すぐに、あだ名までプーチンになりました。地元の毛皮業界では私の本名を知っている人間の方が少なかったでしょう。

そっくりさんとしてのパフォーマンスの機会を求めて、年に3、4回モスクワに来るような生活を数年続けていました。そんな時に自分の店が火事に遭ったんです。原因は放火で、店の入っていたエカテリンブルクのショッピングセンター全体が焼けてしまいました。2015年の5月のことです。数百万ルーブル分の商品も店も灰となり、店仕舞いする他ありませんでした。そんな状況で追い立てられるようにモスクワにやってきました。たどり着いたのは赤の広場でした。そこでプーチンのそっくりさんとして生計を立てる生活が始まりました。

歩き方をまねるのは簡単でした。見た目はもともと似ていましたし、身長もほぼ同じです。そこで私は、顔の表情や発声の仕方、話し方に集中することにしました。表情は意識せずとも似ていたわけですが、本物に近づけるようにさらに努力しました。最初の4年間はそんな風に過ぎて行きました。

プーチンが2期目に入ったころには、だいぶ手ごたえを感じていました。そこでもう少し踏み出してみようと、広告を打って宣伝し始めたんです。するとウクライナから議員パーティーの仕事が舞い込みました。それはクリミアのヤルタで行われる議員の結婚日記念パーティーでした。私は護衛の付いた車両で会場に乗りつけました。主役である議員はそこで耳打ちされます「とても重要な方が、あなたのために駆けつけて下さっています」。私は車から颯爽と降りていきます。彼はもうパニックです。これは悪い冗談かなにかか?それとも本当にプーチンが来たのか?彼はパーティーから3日間、仕掛け人である妻と一言も口を聞かなかったそうです。

お祝いの席に呼ばれることが多いですね。費用は3万ルーブルくらい。それくらいの金額をポンと出せるくらいの人たちですから、自分でビジネスをやっている人や政治家が多いです。

赤の広場での私のパフォーマンスに対する反応は様々です。だいたいみんな驚きます。中国人観光客なんかは飛んできて喜んでくれますね。俺たちの親友プーチン!とか言って。よく分からないけど、中国にはいろいろと便宜を図ってるんでしょう。習近平ともうまくやってるみたいだし。

バスとか地下鉄の中で気づかれることも多いですよ。家で衣装に着替えてから出かけるので。たいていの人は私の姿を見つけて笑顔になります。ネガティブな反応もあります。当然です。特にプーチンの言動や政治のやり方に対して不満を持っている人たちは、私が地獄に落ちて死んで欲しいとおおっぴらに言ってきます。いつ大統領から降りるのか。年金はいつになったら上げるつもりなのかと聞かれることもあります。それぞれ自分の抱える問題について話してくるわけです。私はそういう人たちすべてに対して幸せを願っています。だって、それ以外にどんなことができますか?自分から悪態をついたりはしません。悪意はできるだけ解消できるように努めて、ポジティブな空気にするように心がけています。そういう性格なんです。

多くの人はこう言います。「なぜおまえはプーチンの宣伝なんかやって、やつの好感度をあげるような真似をしているのか。やつはこの国と自分たちロシア人の為に何もしてくれなかったじゃないか」って。私はこう答えることにしています。「時間がたてば、彼が何をして何をしなかったのか、はっきりしてくるんじゃないでしょうか」。私は自分を単なるパフォーマーとは考えていません。パフォーマーであることに加えて、さらにちょっとした何かなのです。なぜなら人々は私とプーチンを分かちがたく結び付けて考えているからです。他のパフォーマーは複数のキャラクターを演じ分けますが、彼ら自身がそのキャラクターと結び付くことは稀でしょう。私の役はひとつです。私はただ一人の人間を演じる俳優なのです。

私は教育学を含む2つの大学の学位と、医療を含む2つのカレッジの学位を持っています。リハビリテーション、教育、体育教師、エコノミスト、財務管理、これらの資格は正直あまり役に立ちませんでした。

特になにもなければ、赤の広場に11時までに出勤して、夜の7時ころまで居ます。就業時間ががあるわけではないので、時間が前後することはあります。今はスターリンと組んで仕事をしています。彼は私よりもこの仕事を長くやっています。とてもいい友達なんです。スターリンのキャラは人気で、今広場にはたくさんのスターリン(6,7人くらい)が居ます。だから、僕らは仕事がうまくいくように、お互いによく助け合っているんです。でも彼はその中でも一番そっくりだと思います。プーチンも人気があります。プーチンとスターリン、人気者同士でタッグを組んでいるわけです。私は彼と仕事をするのが好きだし、彼も僕と組んで仕事をするのを気に入ってくれています。一緒に仕事をした方が楽しいですもんね。

ただ、もうこの商売からは足を洗うことに決めたんです。うちには子供が4人います。一番上が24で、一番下は3つです。以前は家族一緒にモスクワに住んでいたんですが、今年の12月にノボシビルスクに帰っていきました。私はいつも忙しくしていて、嫁は子供たちとここに居るのがつらくなってしまったんです。この仕事は経済的な安定を約束してくれませんから、これで家族を養うのは簡単ではありません。私は、彼に似ているという事実を、ある種の使命のように感じています。ただ、それをどう扱えばいいのか、ただ忘れ去ってしまうべきなのか、私にはまだよく分かりません。長い間、私はプーチンというイメージを気品をもってどうにか演じてきました。ただ、手を貸してくれる人は現れませんでした。